コンテンツを創るための努力

上記の売れる/売れないコンテンツの話を読んで、売れないコンテンツには「発想がない」という説明にとても納得できました。ただ、佐々木俊尚さんやはてブコメントを読むと違う意見の方が多そうなので、自分なりに思ったことを書こうと思います。

なぜコンテンツが作られるかと言えば、ユーザーに楽しんでもらうためです。まずこの前提があって、その二次的な結果としてコンテツが売れるという状態につながります。だからこそ、どうしたらユーザーに楽しんでもらえるかを必死に考えなければ売れるコンテツを作れません。
ハックルベリーに会いに行く」さんが「発想がない」と言っているのは、多くの売れないコンテンツからはユーザーに楽しんでもらうための必死さが感じられないということだと思います。

ユーザーに楽しんでもらうことを意図したコンテンツで最近観た例は以下です。

  • 【東方】Bad Apple!! PV【影絵】

楽曲や歌詞と動画を同期させ、かつベースとなっている世界観を活かし、そしてアニメ絵に抵抗のある人でも楽しめる内容になっている素晴らしいコンテンツだと思います。数分間しかない短い動画ですが、それこそ多くの「発想」が詰まっています。そして、それらの発想から感じるのは、どうしたらユーザーが驚いてくれるか、楽しんでくれるかと一貫した思想です。


少し前のことですが、GIGAZINEさんが出版不況の中で売上を伸ばしている「小悪魔ageha」編集長にインタビューした記事を掲載していました。そこに書かれていたことも、一貫したユーザー視点でした。

ageha
でも、本当に最近の雑誌はキラキラさせているのが多いんですよ。特に下の年齢層の雑誌は上の年齢層の雑誌の真似をする傾向があるので同じようなものが増えてくるんです。そうなってくると飽きちゃうじゃないですか。だからコンビニで見かけて「何だこの表紙は!気持ちワル!」みたいなのでいいのでビックリさせてあげたいですね。

(中略)

G:
今までのお話を聞くと、小悪魔agehaって読者目線で作っているんですね。

ageha
そうなんですよ、絶対に読者の子たちから離れないようにしようと思っています。

「小悪魔ageha」編集長にインタビュー、世の中には「かわいい」か「かわいくない」の2つしか無い - GIGAZINE


また、任天堂は毎年、学生を対象にゲーム制作セミナーをしているのですが、そのサイトのメッセージに宮本茂さんの次のメッセージが掲載されています。

私にとって「面白いゲームを創ること」は「世の中を驚かすこと」。シンプルで新しい驚きのあるゲームをユニークな発想力と技術で形にすることです。

http://www.nintendo.co.jp/n10/seminar/message/index.html

雑誌とゲームで分野はまったく違いますが、ベースにある思想は「一貫したユーザー視点」という点であり、とても似通っています。もしかしたら、こんなのは当たり前だと思う方がいるかも知れません。しかし、多くの企業はマーケティングの名のもとに考えることを放棄して、売れたコンテンツの真似をするわけです。そして、コンテンツが売れないと嘆くわけです。


もちろん新しい発想やアイデアは簡単には出てきません。だからこそ、才能の人材は大事に育てていく必要があるのですが、日本はそういう仕組が整っているとは言えないようです。以下はアニメ制作について説明です。

振り返って日本の場合どうかというと、みなさんがご存じの通り、アニメーターから始まって、作画監督になって、演出になって、やっとアニメーション監督になっていくというキャリアパスがあるわけです。しかし、そうなると、監督になるまでに数十年の期間が必要になります。それだと、スピードアップしている現代では間に合わない。すぐに功成り名を遂げたい若手にとっては、そこまで待ちきれないという問題があります。

コミックマーケットシンポジウム:「必要なのは才能発掘の次のステップ」――日本のアニメ業界に足りないもの (3/4) - ITmedia ビジネスオンライン

小説でも映画でも才能の芽を育てる仕組みはあるんでしょうか。コンテンツがないと嘆いている企業は、そういう才能を育てる努力を何かしているのでしょうか。もしかしたら、過去はそこそこの人物でも宣伝やタイアップでビジネスが成立したのかもしれません。でも、おそらく今後はそれでは通用しないでしょう。


上記で任天堂が学生を対象にゲーム制作セミナーをしていると書きましたが、これは別に道楽でやっているわけではないでしょう。ソニーマイクロソフト違って任天堂にはゲームしかありません。そして、ゲームは発想が全てであり、その発想は人からしか生まれません。このゲーム制作セミナーは任天堂が持っている将来に対する危機感とそれを乗り越えるための努力の表れのように見えます。