我々の手は血に染まっている

クジラを食べない国がクジラを食べる国を批判し、カンガルーのいない国がカンガルーを駆除していること理由に捕鯨反対活動を批判する。彼らは自分たちの言っていることに何の疑問を持たないのだろうか。
動物を殺すことは悪いことだろうか。もしそうであれば草食獣を捕らえるしか生きる術のない肉食獣は悪そのものになってしまう。
都会に住む人々にとって動物の死を直接見ることは少ないと思う。少なくとも私は動物を飼っていたことがないので直接、動物の死の瞬間に立会ったことはない。しかし、近所のスーパーには様々な加工済みの肉が所狭しと並んでいる。そして、今、使っている電気はどこから来ているか分からないが、原子力、水力、火力のいずれにせよ自然に対して大きな負担をかけて、つまりその地域の生態系を破壊して建設された発電所で作られたものだろう。電気だけでなく身の回りのものの多くがそうだと思う。生態系を破壊するとは、その地域の動植物がいなくなるということであるから、動物を殺すよりもっと残酷な行為に思える。更に言えば、今住んでいるところも野生の動物達が住んでいた地域を開拓して、つまり、人間が奪ったものであろう。
肉食獣が草食獣に依存しなければ生きられないように、人間も自然から多くのものを奪うことでしか生きられない。少なくとも自分はそういう自覚を持って生きてきたし、これからもそうありたい。

どうも私には冒頭の記事に登場する捕鯨反対の人たちやそれを批判する人たちは、人間は他の動物達とは違う自然とは切り離された世界に住んでいると思い込んでいるように見える。もしかしたら彼らのような人たちが以下のような身の程知らずの言葉を使うのかも知れない。

ばんぶつ‐の‐れいちょう〔‐レイチヤウ〕【万物の霊長】

《「書経」泰誓上から》万物の中で最もすぐれているもの、すなわち人間のこと。

万物の霊長(バンブツノレイチョウ)とは - コトバンク