健全な知識と不健全な知識

上記の記事のブクマコメントにid:tikani_nemuru_Mさんから以下の質問を貰ったので、少し考えてみました。

見方を変えると、健全な知識に絶対的な自由を与えるということか。「言論の自由はあるが、知識の自由は認めない」http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090716/1247675463

はてなブックマーク - hidematuのブックマーク / 2010年3月10日

「健全な知識」ってどんな知識なの?>id:hidematu。健全は価値で知識は事実です。区別してください。

はてなブックマーク - tikani_nemuru_Mのブックマーク / 2010年3月10日


自分のブクマコメントのリンク先の(id:tikani_nemuru_Mさんの)エントリでは、表現の自由を脅かす存在として「知識の自由」をあげています。たとえば、聖書も進化論のどちらも知識ですが、お互いは矛盾しています。言論の自由が認められている科学の世界では進化論が事実として認められますが、言論が制限されている宗教団体のような世界では聖書が事実として認められるかも知れません。

いつの時代も、〇〇に読ませたい本と言われるような良書と批判の対象になる悪書があります。しかし、それらの良書・悪書に普遍性がある訳ではなく、各々の時代の変化と共に評価も変わっていきます。たとえば、今では考えられませんが「鉄腕アトム」も昔は悪書として焚書されたこともあるそうです。

今回の東京都の青少年育成条例改正案は、「非実在青少年」による性交なども不健全図書に指定できるようにするものであり、上記記事では「非実在青少年」の定義範囲が極めて主観的かつ不明確であることを問題視しています。主観的かつ不明確な定義で不健全図書が指定されるということは、健全/不健全の判断が東京都の「東京都青少年健全育成審議会」に委(ゆだ)ねられるということになります。しかし、誰にも良書・悪書の区別をつけられないのと同様に健全・不健全の判断ができるとは考えられません。


つまり、「「健全な知識」ってどんな知識なの?」という質問に対する答えは、

  • 「健全か不健全は判断出来ないので存在しない」

  • 「東京都青少年健全育成審議会が不健全と判断しなかった知識」

になります。


各々の時代においてその時代の常識やモラルによって人々から批判された偉大な先駆者達(手塚治虫ガリレオ・ガリレイチャールズ・ダーウィンなど)がいた事を忘れるべきではないと思います。