漫画のラスボスのような石原都知事と猪瀬副知事

以下の石原都知事と猪瀬副知事の発言を読んで、昔、どこかで聞いたことがあるような既視感を感じました。

その連中、芸術家かどうか知らないけれど、そんなことぐらいで、書きたいものが書けなくなった、そんなものは作家じゃない、本当に、言わせれば。

作家に生活がかかっていることはあたりまえ。すべてては鍛練と才能。それで突破すればよいのだ。覚悟をもって、なによりも独自のメッセージを伝えてほしい。


さっきようやく気づいたのですが、これってバトル漫画のラスボスがよく言っているセリフです。漫画の主人公は大抵ピンチに陥るんですが、ラスボスは主人公を倒すチャンスなのに倒さないことがよくあります。そういう時、ラスボスは上記のようなセリフを言います。


たとえば、BLEACHの47巻の中で、圧倒的な力を手に入れた藍染惣右介は自分の敵である黒崎一護に対して

ー 君は此処へ置いていく

と言ってその場を立ち去ります。今なら確実に倒せるにも関わらずです。そして、別の場面で黒崎一護が以前より強くなることを確信しているようなことを言います。

・・・黒崎一護は必ずここへ現れるだろう
新たな力を携えて

まるで、敵である黒崎一護の才能を信じているかのようなセリフです。


漫画でも小説でも映画でも、主人公が何度も九死に一生を得ながら困難を乗り越えて目的を達成するのは、物語として面白いと思います。でも、それを現実でやれと言われても誰もできません。漫画とは違うのですから。彼ら(石原慎太郎と猪瀬副知事)は試練を与え分だけ人が強くなると思っていないでしょうか。そんなことができるのはサイヤ人だけです。


彼らに声を大にして言いたい。

ネット空間で特に顕著だが、日本人は人を褒めない。昨日もLingrイベントで言ったけど、もっと褒めろよ。心の中でいいなと思ったら口に出せ。誰だって、いくつになったって、褒められれば嬉しい。そういう小さなことの積み重ねで、世の中はつまらなくもなり楽しくもなる。「人を褒める」というのは「ある対象の良いところを探す能力」と密接に関係する。「ある対象の良いところを探す能力」というのは、人生を生きていくうえでとても大切なことだ。「ある対象の悪いところを探す能力」を持った人が、日本社会では幅を利かせすぎている。それで知らず知らずのうちに、影響を受けた若い人たちの思考回路がネガティブになる。自己評価が低くなる。「好きなことをして生きていける」なんて思っちゃいけないんだとか自己規制している。それがいけない。自己評価が低いのがいちばんいけない。

それが人生の先輩が後輩にしてやれるほとんど唯一のことではないだろうか。