ゲームと映画の違い

ファイナルファンタジーを作ったスクウェア社(現スクウェア・エニックス社)の歴史って、「技術者・クリエイターの楽園」ちっくな企業が紆余曲折をへて普通の企業になるまでのお話だよね。

変な会社(あるいは技術者・クリエイターの楽園)の作り方とその末路 - riverrun past...

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ゲームは映画とは違う

はてなブックマーク - hidematuのブックマーク / 2010年1月2日

とブクマしたところはてなスターで「どこが?」というコメントをもらったので、説明を書いてみたいと思います。


ゲームと映画の違い

いきなり違いを説明しようとするとうまくできなかったので、まずは「ドンキーコング」誕生について語る任天堂の岩田さんと宮本さんのやり取りを引用します。

宮本
そもそも、面白いゲームというのは
パッと見て、何をしたらいいのかが
とてもわかりやすいんですよね。
目的がひとめで見えて、たとえ失敗しても、
それは自分のせいだと思えるみたいに
とても整理された構造をしているんです。
しかも、まわりで見ている人も楽しめたりとか。
で、そんな話を横井さんとやりとりしながら・・・。


岩田
ゲームの面白さを分析したんですね。


宮本
ええ。
で、たとえばひとつのアクションがあって、
それはカンタンにできるとします。
それとは別のカンタンにできる操作がある。
でも、そのカンタンにできるようなことを
「2つ同時にしろ」と言われるとなかなか難しいんです。


岩田
ひとつひとつはカンタンにできることを
2つ同時にやろうとすると難しくて、
それがカンタンにできそうだと思うからこそ、
失敗すると「悔しい」と感じるんですね。


宮本
そうなんです。
そこで、あみだくじのようなスロープをつくって・・・。


岩田
ハシゴをのぼったり、ジャンプをしたり。


宮本
ショートカットで転がってくるタルのルートを予測しながら
ちゃんとゴールまで到達すると。
どんどん上にのぼって行くのはカンタンなんです。
転がってくるタルをよけるのもカンタンなんです。
でも、その2つを同時にしようとすると難しくなる。
しかも近道をしようと考えるから、さらに難しくなる。
そのアイデアでたぶん行けるだろうと。

社長が訊く『New スーパーマリオブラザーズ Wii』

ドンキーコングは、女性を救出するためにキャラクターを操作しゴリラが次々落としてくるタルをかわしながら上へ登っていくゲームです。ゲームのアイデアはどうすれば面白いゲームになるかという点から発想されいて、ストーリーやキャラクターは後付けです。そして、一つ一つは簡単なのに同時に実行しようとすると難しくなるような課題をプレイヤーに提示し、プレイヤーはお金を払ってまでその課題を解決しようとします。実際にこのドンキーコングというゲームは大ヒットしました。ゲームで高得点を出したところで何も得るものはありません。それなのに、なぜ人はわざわざお金を払ってまでゲームをやろうとするのでしょう。この答えは、人が挑戦好きな性分だからという研究結果が当てはまるかもしれません。

ヒトはチャレンジを好む。進んで新しいもの、違うものを求める。無理をしたり、背伸びをするのが好きだ。刺激を求め、あえてわが身を危険にさらす。わかりやすく言えば、われわれは「ネオフィリック」(neophilic)、つまり新しもの好きなのである。

ネオフィリアの生きる道:江島健太郎 / Kenn’s Clairvoyance - CNET Japan


やったことがない人にはぜひとも試してもらいたいことがあります。まずは座って膝の上に両手を置いてください。次に両方の手のひらで膝を5回スリスリとこすってください。その後、両手を軽く握って膝を5回トントンと軽く叩いてください。ここまでは誰でもできると思います。次に右の手のひらで膝をこすり、左の拳で膝を叩いてみてください。たぶん、最初からできる人は余りいないと思います。もし退屈な時間があってその場に友人・家族がいたなら、これを試してみると調度良い退屈しのぎになります。

結局、言いたいことはゲームは課題を解決する遊びでありゲームビジネスとは新しく発明した遊びを道具(ハードウェアやソフトウェア)と一緒に売ることです。上に書いた膝をスリスリトントンする遊びがどんなに面白くてもお金になりませんが、シナリオやキャラクター、BGM、効果音を組み合わせて新しい遊びを発明すればゲームソフトとして販売することができます。


対して映画は動画や音を通してストーリーを楽しむ娯楽です。演出による見せ方も大事ですが、ストーリーがダメだとやはり面白くありません。映画版のファイナルファンタジーもDVDで観たことがありますが、CGは確かに凄いのですがすぐにCG映像にも飽きてきますし、後半はグダグダの展開でウンざりさせられます。


ゲームは「遊び」映画は「お話」なので、自ずとストーリーの役割は変わってきます。昨年ヒットしたWiiスーパーマリオブラザーズのシナリオはクッパに誘拐されたピーチ姫をマリオ達が救出しにいくお話ですし、ドラクエ9も中世のファンタジー世界を舞台に世界を救う話ではないかと思います。ゲームが面白いのであれば、ストーリーがマンネリでも問題は何もないのではないでしょうか。映画もリメイクされることがありますが、基本的に同じストーリーの映画が作られることはありません。


ゲームクリエイター

冒頭のエントリを読んでもう一つ気になったのは「クリエイター」という言葉です。なぜゲーム開発者だけクリエイターと呼ばれるのでしょう。モノを作る人がクリエイターなら、テレビや机、洗濯機など作る人もクリエイターと読んでいいはずです。
コウビルド(COBUILD)英英辞典によると"creator"は次のように書かれています。

The creator of something is the person who made it or invented it.

モノを作った人、発明した人という意味のようです。もう一つ、創造主としての神という意味もあるそうです。
また、「ネイティブスピーカーの単語力〈1〉基本動詞 (Native speaker series)」という本には次のように書かれています。

createの焦点は今までなかったモノです。他の人が作ったモノをまた作ったからといってcreateにはなりません。今までになかった新しいモノを作り出す、それがcreateのイメージです。もちろん、そこにはイマジネーションが感じられるんですよ。

P.254

Googleで"ゲーム クリエイター"を検索するとゲーム開発者を養成する専門学校がいくつも見つかります。意図的かもしれませんが、これらは明らかに「クリエイター」と「開発者」を混同しています。たとえば、初めて対戦格闘ゲームを作った人ならばクリエイターと呼ばれてもおかしくないでしょうが、キャラクターや操作の一部を変えただけの二番煎じを作ったのであればクリエイターと呼ぶのはおかしいでしょう。
Wikipediaによると、このゲーム業界でのクリエイター乱用には以下の理由があるそうです。

ゲームクリエイターという用語はそれほど古くから定着していたわけではなく、1990年代後半に花形職業としてもてはやされたころから一般化した。この当時は、一部の著名クリエイター(飯野賢治、鈴木裕、広井王子ら)がテレビや雑誌に露出し、「ゲームクリエイター」が若者の希望職種の上位に挙げられるなどの現象がみられた。

ゲームクリエイター - Wikipedia

大企業もかつてはベンチャー企業だった

ハッカー(ソフトウェアをデザインしプログラミングする人)でありViaweb社の社長だったポール・グレアムは、「ハッカーと画家」というエッセイで次のように書いています。

私はこのことにはごく最近になるまで気づかなかった。 YahooがViawebを買収した時、彼らは私に何をやりたいか尋ねた。私はビジネスのことには全然興味がなかったので、ハックしたいんだと答えた。 Yahooに入ってみたら、彼らにとってハックするということはソフトウェアを実装するということで、デザインするということではないということがわかった。プログラマは、プロダクトマネージャのビジョンとかいったものをコードへと翻訳する技師とみなされていたのだ。

どうも、大企業ではそれが普通らしい。そういうふうにすれば、出力のばらつきを押えることができるからだ。ハッカーのうち実際にソフトウェアをデザインできる能力のある人間はほんのひと握りであって、企業を経営している人々が彼らを見つけ出すのはとても難しい。だから多くの企業では、ソフトウェアの未来を一人の素晴らしいハッカーに託すのではなく、委員会によって設計し、ハッカーはそれをただ実装するだけという仕組みを作るんだ。

あなたがいつか金持ちになりたいと思っているなら、このことを覚えておくといい。何故ならこれは、ベンチャー企業が勝つ理由の一つだからだ。大企業が出力のばらつきを押えたがるのは、被害を避けたいからだ。でも振動を抑制すれば、低い点は消えるけれど高い点も消えてしまう。大企業ではそれは問題じゃない。大企業はすごい製品を作ることで勝つわけじゃないからだ。彼らは他の企業よりも下手を打たないことで勝つ。

だから、ソフトウェアがプロダクトマネージャ達によって設計されるような大企業とデザインで勝負する方法を見付ければ、彼らは絶対あなたには勝てない。でもそういう機会を見付けるのは簡単ではない。大企業をデザインでの勝負の土俵に引っ張り出すのは、城の中にいる相手に一対一の勝負を承知させるのと同じくらい難しい。例えば、マイクロソフトのWordより良いワードプロセッサを書くのはたいして難しくないだろうが、独占OSの城の中にいる彼らは、おそらくあなたがそれを書いたことに気づきさえしないだろう。

デザインで勝負する良い場所は、誰も防衛を確立していない新しいマーケットだ。そこでならあなたは、大胆なアプローチによるデザインと、そして同一人物がデザインと実装を受け持つことで、大きく勝つことができる。マイクロソフトだって最初はそこから始まったんだ。アップルもそうだし、ヒューレットパッカードもそうだ。恐らくどんな成功したベンチャーもそうだと思う。

Hackers and Painters

このエッセイでは自らの経験を踏まえて次の2つのことを言っています。今の大企業も、かつて新しいマーケットでベンチャー企業として大胆なアプローチのデザインと実装により勝利したベンチャー企業である。一般に大企業では出力のばらつきを抑えることで失敗のリスクを避けて競争に勝ち、そのため優れたデザインも失っている。
このことは、家庭用ゲーム市場という新しいマーケットの誕生と同時期にこの市場に参入した新しい企業であるスクウェアが、独創的なゲームソフトであるファイナルファンタジーで成功した後、大企業となりかつてのようなオリジナリティのあるゲームを作らなくなったことにも当てはまります。

そして、もし映画並みのシナリオ重視路線を続けるなら、映画業界のように小説や漫画から人材やネタを持ってくる必要があるのではないでしょうか。なんといっても「お話業界」の歴史のは何百年も前から続くレッドオーシャン市場なのですから、社内の人の思い付きだけで競争を続けるのは難しいと思います。