静かな状態を表す「シーン」の語源

DS文学全集で坊ちゃんを読んでいたら「森(しん)としている。」という表現があった。今ではマンガでもポピュラーな表現である「シーン」が"森"からきているというのは知らなかったので、少し調べてみた。

まず、「シーン」という擬音をマンガに持ち込んだのは手塚治虫氏らしい。彼は光文社から出版された「別巻17 手塚治虫のマンガの描き方 (手塚治虫漫画全集)」の中で次のように語っているとのこと。

「音でない音」を描くこともある。音ひとつしない場面に「シーン」と書くのは、じつはなにをかくそうぼくが始めたものだ。

漫画表現「シーン」の発案者は手塚治虫: 知泉的雑記

次に青空文庫で「しんとした」を検索してみたが、「森(しん)とした」と「寂(しん)とした」の二種類の使われ方があることが分かった。

使用例では「森(しん)」が多いが、作家の年代では「寂(しん)」の方が古い。そのため後から「寂」の代わりに「森」をあてたとも考えることもできるが、より古い「森」の使用例がないとは言えないので、はっきりとは分からない。

青空文庫で見つけた中で最も古いと思われる作品は、三遊亭 圓朝氏(1839 - 1900)の「業平文治漂流奇談」と「西洋人情話英国孝子ジョージスミス之伝」だった。どちらも「寂(しん)として」が使われている。Wikipediaで調べたが作品の発表年は分からなかった。(【2009/05/09追記】「業平文治漂流奇談」の本文中に圓朝氏の話を速記した若林かん(王甘)蔵氏が記録した日付:「明治十八年十一月」(1885年11月)が書かれていた。つまり、現状確認できた範囲では1885年11月が「しん」という表現の初出になる。言文一致体を完成させた三遊亭 圓朝氏が口語的表現である「しん」の語源である可能性は高いように思える。文書化したという意味では若林かん蔵氏が最初ということになるのかも知れない。【2009/11/21追記】国立国会図書館の日本デジタルライブラリーによれば業平文治漂流奇談の出版年は1889年となっている。)
青空文庫をもっとよく調べればより古い使用例が見つかるかも知れないが、それは青空文庫内で最古というだけで、本当の意味での語源とは言えそうにない。Googleが情報を整理し尽くしてくれるまで待つしかないかも知れない。

また、手持ちの電子辞書(「新漢語林」2004)で「森」「寂」を調べたが、「しんとした」に繋がる説明はなかった。

なお、漫画表現「シーン」の発案者は手塚治虫: 知泉的雑記のコメント欄では、1907年に朝日新聞に掲載された虞美人草(夏目漱石氏)が「しんとした」の最初の使用例とされているが、青空文庫内だけでもより古い時代に複数の使用例が見つかるので違うと思われる。「森(しん)」の使い方は、国木田独歩氏の「酒中日記」にも出てくるが、Wikipedia上では「酒中日記」の方が先に発表されているように見える。

2012/09/18追記

臨機応変?さんに送ってもらったトラックバックで、より古い「しん」の使用例を知ることができました。

さらに小学館日本国語大辞典』(全13巻のごっついやつね)を繙くと「お座敷は三月しんとしづまりて」(俳諧・毛吹草 1638年)、「各(おのおの)しんと座をしむれば」(滑稽本・古朽木 1780年)、「雪の夜で蕭然(シン)としてゐるから」(三遊亭円朝真景累ヶ淵 1869年頃)、などの用例が出てくる。

こちらのエントリによれば、一番古いものは平仮名の「しんと」とのことです。
どうやら「森」や「寂」などの漢字は当て字で比較的新しい使われ方で、実際には「しんと」はかなり古くからある表現のようです。