明治初期に外国人が日本の教師から聞いた体罰の状況

1878年、今から100年以上前であり明治維新から10年後の日本に一人のイギリス人女性が訪れた。彼女が日光の学校で教師から聞いた子どもに与える罰の内容が以下。
日本奥地紀行 P.120

悪い行いをすれば処罰として鞭で膝を数回殴られるか、あるいは人差指にモクサ(もぐさ)をつけて軽くお灸をすえられる。これは今も行われる家庭内の懲罰である。しかし教師の説明によると、学校に居残りさせることだけが現在用いられている処罰であるという。

家庭では体罰は行われていたが学校では体罰はなかったとのこと。


日本は鎖国から開国するまでの約200年間、独自の文化を育ててきた。そのことで外国に比べて発達が遅れる面もあったが、教育に関しては優れた実績と文化を維持してきた。たとえば江戸時代の日本の識字率が世界一だったことは典型的な例だと思う。


その日本の教育現場では体罰は行われていおらず、また、ヨーロッパ諸国に先駆けて体罰禁止を明文化したのも日本が最初だった。

明治初期「学制」以後教育令(1879年)以前の近代学校において、体罰規定を含んでいるところは一つもない。 
 1879(明治12)年の教育令は「自由教育令」とも呼ばれたが、これの第46条に「凡学校ニ於テハ、生徒ニ体罰(殴チ或ハ縛スルノ類)ヲ加フヘカラス」と、体罰禁止が法制上明文化された。前年文部省が上奏した「教育令布告案」では次のようになっていた。「第75条 凡学校ニ於テハ、生徒ニ体罰ヲ加フ可ラズ。」 
 江森はこのことについて「日本ではなぜ学校体罰の禁止が、近代教育思想の体罰的構造に反して、教育法規にすんなりと早期に定着したのか、ということである。学校体罰法禁の西欧先進国であるフランスでさえ、教育令の規定より8年遅れている。それは、わが国の伝統思想の中に国民のエートスとして、体罰を残酷とみる見方が定着しているとすれば、この課題設定はあっさりと氷解してしまうことになる。本書はこれまで、まさにそのことを明らかにしてきたつもりである。」

もちろん現在も学校教育法により体罰は禁止されている。

第十一条  校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。

大阪市立桜宮高校で教師の体罰が原因で生徒が自殺した事件をきっかけに体罰に対する賛否が話題となっている。こんな議論を聞くと100年前よりも日本の文化水準は下がってきているのではないかと心配になってしまう。


参考

日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)

日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)